オタクがラップを学んでた(最近自由

ヒプノシスマイクにハマったオタクがラップのことを学ぼうと奮闘していたが……?!最近はテーマ自由に書き気味。

木村昴さんと山田一郎がともに勝利する未来を見たい

※主観です。思い違いもきっとあるのでしょう。

 

 

BusterBros!!!が負けた。

 

8/26、日曜日、うだるような猛暑の日、日陰もなにもない駐車場にならんだ日、汗だくで拳を振り上げて、綺羅星の如くきらきらした楽曲たちを浴びたその日。

BusterBros!!!が負けた。

男性声優参加のラッププロジェクト、ヒプノシスマイク。
第一線で活躍するヒップホップのアーティストが参加する本格的な楽曲と、オトメイトでキャラクターデザインされた2次元イケメンキャラの異色の組み合わせである。
異色なのはそれだけではない。BATTLESEASON。
みなさんも一度は見たり聞いたりしたことがあるだろう、フリースタイルダンジョン、MCバトル。ヒプノシスマイクではそれをBATTLESEASONと称し、ユーザーの投票でジャッジをさせる。CDの楽曲をきいたり、推しのためだったり、様々な理由で私達は投票した。ライブの約一週間前の締切。事前投票である。
発表はライブ後半、それまでのキラキラした時間が一気にまっくらになった。
こんな経験、はじめてである。画竜点睛、まさに最後の仕上げによって意味が変わる衝撃的なライブだった。

「ヨコハマ、シンジュクはキャラ人気で勝った」

という人がいる。私は楽曲、そしてキャラに関して圧倒的にイケブクロが良いと感じている。イケブクロが最高で最上であると。であれば何故負けたのか?

 

私は複数の理由があると感じている。

 

一つは先程挙げたキャラ人気の差だ。ヒプノシスマイクが二次元のキャラクターとヒップホップの融合を謳う以上、楽曲以外にもキャラクターの容姿、関係性、ストーリー、などは投票に加味されてもおかしくないし、そうあるべきだと感じている。
シンプルに楽曲、そして声優さんのスキルで勝敗をつけるのであれば、二次元のキャラクターをコーティングする必要はまったくない。声優さん本人たちをそのままメインとすればいいのだ。

ヒプノシスマイクとは総合格闘技である。

上記を踏まえて、もう一つの理由である。表題にも関わる。
ライブをみて気づいたことがある。声優さんはキャラクターに沿ったアクションや演出、セリフを織り交ぜていた。ヨコハマであればタバコを模した小道具を使用しての演出、銃兎の警官らしい観客への注意、最高だった。シブヤであれば完全に飴村乱数が存在していたし、不在の夢野幻太郎のパートをそれぞれのキャラ性そのままに歌いきった。シンジュクはなんといっても独歩。佇まいが独歩というキャラクターを表しており、チグリジアの歌唱はこちらの胸が苦しくなるくらいだった。ライブのソロ曲で文句なく一番良かったと思う。
二郎、三郎、言動も佇まいも、WAR WAR WARのバチバチ感もキャラクターがそこにいるような動きだった。どうやらあの動きやセリフはフリースタイルらしい。そこもまた二郎と三郎らしい!

しかしその場に山田一郎は存在しなかった。そこにいたのは木村昴さん、その人のみだった。ヒップホップというものが木村昴さんと山田一郎を繋ぐよすがなのかもしれない。そのため、ヒップホップに触れて活き活きする木村昴さんは山田一郎と同一になるのかもしれない。しかし私はそこに山田一郎を感じることができなかった。
ブクロ最強の三兄弟の長男、萬屋ヤマダ、人情家で弱い者を見捨てられない正義感、左馬刻と因縁のある19歳。ヒプノシスマイクはキャラクターと声優さんの総合格闘技である。その半身が、感じられない。
もちろん、木村昴さんのラップや歌は好きだ。とてもいい。
ただ、それだけでは、ヒプノシスマイクでは致命的なのではないのだろうか。

CD音源のIWGP山田一郎はとても楽しそうに歌っていた。
そんな山田一郎と一緒に勝利する木村昴さんの姿を私は見たい。

8月半ばのニコ生のリリックマッチで木村昴さんは山田一郎のお墓参りのリリックを選んだ。それまでのどのリリックマッチよりも圧倒的に山田一郎で、涙が出た。光明なのではないか、そう思う。

 

木村昴さんと山田一郎くんがともに勝利する未来を見たい。
それが私のヒプノシスマイクにおける最高で最上の未来である。

 

投票券での投票システムは、キャラクターを旗印に掲げたファン同士の代理戦争である。戦った結果を、キャラクターが受ける。
投票結果に後悔しかない。リボ払いでもなんでもしてれば勝てたのだ。
しかし、今のこの気持ちを対決相手に味合わせることになると考えると、エンタメとして不健全に感じてしまう。全力で喜べない楽しめない。エンタメとは生きる希望であり、光り輝くものになってほしい。個人的な思いだが。
徐々にテラスハウスのようなリアルドキュメンタリーエンタメの方向によっていくのではないかという懸念もある。

はじめてヒプノシスマイクの全員曲を聞いたときのあの高揚感、新たな世界が広がって、世界が色づく感覚。それを思い出すたび、ヒプノシスマイクは輝かしい光となってほしいと思ってしまう。エゴである。
ヒップホップとはライフスタイルである、ライブで木村昴さんはそう言っていた。悔しさもヒップホップの一部であると。
しかし今の状況はそこともまた違う気がする。まるで中王区が主催したディビジョンバトルのような、恣意的な、負の感情、憎みたくないのに悔しさの感情が勝者のキャラクターとファンに向かってしまう、いかに足掻いてもスッキリできない、解決できないような香り。二次元のキャラクターは現実には存在しない。手がだせない。奮闘できない。もどかしさがある。見守って待つしかない。つらい。
争いを生み出すエンタメは、とても苦しい。触れる側も、きっと作る側も。

今の気持ちを理解するためにもっとヒップホップが知りたい。
ヒップホップに造形の深いファンはまた違った受けとり方をしているように思える。大人になっても新しいことを知る機会ができるのはいいことだ。

 

とりあえず何が起きてもいいように貯金と万歩計がんばります。

 

 

 

20180905追記

ニコ生三兄弟サイファーで浄化されました